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サブ3.5ランナーのマラソン記録、古墳を楽しもCHANNEL!で伝えきれないこと

小山田遺跡現地説明会

1月18日(日)、急遽奈良県明日香村に行ってきました。
目的は、15日に発表された小山田遺跡の巨大方墳発見の現地説明会に参加するためです。この時は木曜から金沢に出張していたので出張先からさらに遠征することになり、フィールドチェックの服やカメラなど無防備な状態でしたが、とにかくチャンスを逃さず行ってきました!
雪国から古墳の本読んで、のんびり雪見酒しながらの旅は本当に楽しいもんです(笑)。

金沢からだと京都まで特急で移動しそこから、奈良へ、さらに橿原神宮前駅までと乗り継ぎ、現地に到着したのは、午後1時頃。
どうやら午前中に5,000人くらい来ていたようですが、自分着いたころはピークは去っているようで結構ゆったりと見ることができました。



今回の発見は、古墳の形はもうなく、学校校舎の改築のために地中から出てきた遺構でした。
なので墳丘がある訳ではなく、こんな意外な形で巨大古墳が発見されるというのは本当にレアでしょうね。
被葬者としては、
舒明天皇の初葬墓として「滑谷岡陵(なめはざまのおかりょう)」と考える説
蘇我蝦夷の入鹿と双墓と呼ばれた生前墓と考える説
が見解として出ている状態です。
また、根本的に古墳なのか?という意見もあるようです。
自分には全くわかりませんが、立地的には、甘樫丘のすぐ近くで蘇我氏のエリアでありここに舒明天皇の墓が造られるのかな?とは思いました。
蝦夷だとすると、生前墓として造られたが、その後乙巳の変で自殺に追い込まれた後は、墓は壊されたんじゃないかとか想像は膨らみます。

では現地の写真

 


今回の遺構を見てすぐに気づくのは、遺構の場所が校舎に囲まれているということ。

【現地説明会資料より抜粋】


この点に関しては、養護学校の開校が昭和41年であり、この時代は校舎建設で遺跡調査が行われることがなかった時代ということでした。
発見された遺構を延長すると、約50mの方墳ということであれば、校舎の下に別の辺があることになります。
さらに今回発見れた遺構についても、ビッシリとある葺石に大きな穴が明けられている状態。
この穴は旧校舎の基礎があった場所ということなので、明らかに遺跡を破壊しながら建てていたことがわかります。
今後についてもすぐ間際に校舎があるので、保存するにしてもどのように保存するのか大変難しい課題がありますね。

しかし本当に良い天気で冬の明日香路を堪能できた一日になりました。