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サブ3.5ランナーのマラソン記録、古墳を楽しもCHANNEL!で伝えきれないこと

震災から10年ー3-

最後にずっと関心があるその後の放射能の状況について。
震災後に雨が降ったんですが、雨に濡れた自転車をそのまま保有してよいのか?とか、雨に濡れた車は大丈夫なのか?とかこんなことが関心事でした。

今は感覚の記憶が薄いですが、震災1か月後に二男が生まれ退院してきた時だったか、雨が降っている時でマンションの入り口に横づけした車からわずか2m位の所をお義母さんが神経質すぎるくらい身を被せて雨にあたるのを防いでくれたのは鮮明に覚えています。浦安ですらこんな感覚でしたから、福島ではどんな状況だったか。

当時自分がハマっていたことが潮干狩りでした。アナジャコを捕まえたくて江戸川に行ったり、マテガイを採りに葛西臨海公園に行ったりしてたんですが、震災により数年後には汚染が迫ってくるとみて断念しました。

千葉県の放射能の計測情報は定点チェックするようになりました。飲料水はどの系からとか、今現在の計測値の異常はないかとか浦安に住んでいた期間は関心高く見てました。

震災2年後からランニングを始めたのですが、ホームコースは旧江戸川河川敷で、夜走っていると夜釣りでウナギを狙っている人が結構いるんですが、ある時旧江戸川のうなぎでセシウムが基準以上に検出されたことがあって、それでも釣りしている人たちに大丈夫なんだろうかと思いながら横を走りすぎたものです。

その後、家族は金沢へ引っ越しし、自分は門前仲町へ移動。この頃は震災の記憶は薄れつつありましたが、自分も単身赴任やめて金沢へ移動しようと思った時に、ふと福島へ行きたくなりました。引っ越しして週明けには移動先赴任という3連休に荷物の整理をそこそに福島へ。郡山市で古墳を目的にしつつ震災後の状況を自分で確かめなくなり、最後の最後に行った土地が福島でした。

土地を歩いて、資料館へ赴いて、できるだけ近づこうとしてバスを間違えて時間を余計に使ったりした旅でしたが、東京生活の最後を福島県で過ごしてきたのでした。当時は常磐線が全線開通してなくて限られた場所しかいけませんでしたが、機会を作っていきたいと思っています。

今現在の震災からの回想するとこんな感じですね。

いよいよ明日が当日3月11日ということで、ここで締めくくります。

震災から10年ー2-

ギリギリ動き出した都営新宿線でとにかく帰宅。到着が何時だったのかは記憶にありませんが、その後何年たってもお客様と懇親してると初めての方と必ず話題になるのが、「あの日どうしてました?」という点。

都内から千葉まで歩いた方もいたりと、皆さんいろんな1日を体験していたようです。ただ本当は無理に帰宅する方がリスクだったらしいですね。当時はそんなこと考えずまず営業所員の無事と帰宅手段を判断した上で、自分は無理そうなので辛うじて開いていた居酒屋にいた訳ですけど、何とか戻って家族の顔が見れました。
当時妻が臨月で、長男の面倒を見ながら水槽からあふれた水の掃除をしてくれて本当に感謝でした。

翌日は確か土曜日で休みの中、福島の状況をTV観ていると、水素爆発とか飛んでもない情報が飛び込んできて、日本はどうなるんだろうと本当に思いました。
日曜を過ごし月曜からの出社が確か電車が動いていなかったんじゃないかと記憶しています。結果、自転車で出社しようとしたのですがほとんど乗っていなくて空気が抜けて、さらに空気入れも無い状態。何とかどこかに空気入れが無いかを探しながらもないので抜け気味なタイヤで浦安を出発。

当時はまだランナーじゃなく体重が今より10kg以上あり、自転車のスピードが遅くて遅くて(苦笑)。抜かされることはあっても抜くことは決してなく神田の事務所に到着。

到着してやる仕事というのは案件の中止処理。ひたすら中止処理をシステム入力しました。

土日を経て心配事は津波被害よりも放射能へ。
原発が爆発するという想像できない出来事の中、自分たちは東京にいて安全なのか?という思いが。他にも有明の倉庫の被害とか、いろんな情報が次々と入ってきて、全容が分かってくると事の大きさに改めて驚愕した訳です。

まあ、そうはいっても仕事は中止処理しかないのである程度終えたらぼちぼちで帰宅。
帰ってから家族はしばらく川崎の実家に行くことに決定。
最寄りの西友の棚には食材が全くなくなにより断水してしまって生活するにも支障があるので一旦浦安暮らしは自分だけに。

その後浦安は液状化があったりマンション断水はしばらく続いて、家族が最後にお風呂に入った残り湯を運よく流さなかった水でしばらくは生活することになるのです。
エリアが完全に断水という訳じゃなかったらしいですがマンションの上の方まで水が組み上げられないらしくて、一週間位は、お風呂の残り湯をトイレに使いながら過ごしました。途中銭湯に行ったところ、出口まで行列がはみ出ていて断念。

約一週間、風呂に入らず過ごし、翌週末に本社金沢へ出張した際に、「獣くさいと思います」と会議で報告したのを今でも覚えています。

 

震災から10年ー1-

日記のように書いているブログを振り返ると震災の話がインパクトに対してほとんど登場してないことに今更ながら気づきます。少し長くなりますが11日の前に書き出して見ようかと。
これ記憶が今でも本当に鮮明なので備忘する必要が無い位なんです。

震災の直前、自分は赤坂にいて赤坂見附から丸の内線に乗ろうと、下りエスカレータにいたんですが、下っているはずなのに上っている感覚となり「疲れてるのかな?」と思いながらよろけつつもエスカレータは動いているのでホームへ向かいました。
赤坂での商談が結構難易度高かったので疲れてても仕方ないなという状態だったんですが電車が止まっていて地震があったことを理解。
赤坂見附は便利な駅ですが、すべての地下鉄が止まってしまっているので迂回もできずしょうがないのでしばらく待機することにしました。

その時は事の重大さがわかっていないので次の訪問先に遅刻することと、合流する予定の同行者へ連絡をしなければという思いにかられながらも連絡つかず遅刻がとにかく心配事でした。

しかし一向に電車の運行が再開しないので、周りにもたくさん人が滞留している中で携帯のワンセグでTVを見てみると、10m以上の津波とか信じられないようなアナウンスがなされていました。地下鉄の出口の階段に立ち茫然としながらも、次の訪問どころではない状況になっていると知り、歩いて会社に戻ることにしました。非常事態であり即コンビニで食料とビールを購入。なんでビール買っているかは不明ですがとにかく必要な物品を調達して事務所を目指しました。

今から思えばその後の余震でビルのガラスが落ちて来たところもあったそうなのでその点はもっと警戒しなければならかなったんですがこの点は抜けていました。
会社では自分の消息がとれなかったということで心配だったようです。基本誰かと同行していたので会社携帯を持っておらず、個人携帯だけだったというのがこういう時は生存確認に手間取ってしまった模様。

事務所は神田にありその頃はまだランナーではなかったのでギリギリ歩いて何とか到着。生存報告し、他状況聞くと、都内の方でも大きな被害が出ているということで津波の心配はもちろんですがそれ以上に、自分の身、家族と連絡がとれない状況が心配な夕方でした。

その後、電話がつながりにくい状況の中、何とか家族と連絡がつき無事であること、当時まだ複数個あった水槽から水が溢れている連絡を聞き、家族が無事であることを前提に水槽の水漏れ被害を確認しました。
この件は今でも家族より水槽が大事なの?と嫌味を言われる事件です。

他営業所の社員の生存も大事な確認事項でしたが一人だけ戻れない状況にありました。当時川崎の方へ訪問していて、さすがに川崎からだと自分のように歩いて戻ることもできず待機し生存連絡だけがあった状態。
ただ彼は、その後夜通しかけて神田まで戻ってきて実際に無事が確認できました。家族の居住地が津田沼だったので神田から津田沼にその日の内に戻ることは無理でしたが。。。

状況が見えて来てとんでもないことが起こってしまったことを認識しつつ電車が動いていないので帰宅できないので、家族の無事を確認した上で、空いている居酒屋へ行くことに。状況の深刻さをこの時はまだ分かっていないので、地震で電車が止まっているだけと考えていました。

自分が当時住んでいたのは浦安で、東西線を使っていました。結局メトロは終日運航停止していたのですが、都営新宿線が動き始めたことが終電時間近くに判明。一之江駅まで行けたらあとは歩けるので、居酒屋メンバーに別れを告げ自宅へ戻ることに。

長い1日はこんな風に終わりました。
翌日以降はまたということで。

ROUND1のレーンコンディション

自宅から5分の所にROUND1があり今年から休日の朝は、雨が降る(Run無理)か、風が強い(ドローン無理)の場合の選択肢はボウリングとなりました。実に20年振りにボウリングすると驚きの進化があります。そんな備忘を1つ。

当時はまだプラスティックレーンが出始めで、石川県下では元々の木のレーンが当たり前のジャンボボールや百万石グランドボウルが正統でレジャランのプラスティックレーンでスコアだしても何だか邪道な感覚がありました。その頃転勤あり、習志野市津田沼でボウリングを継続した時も、津田沼エースレーンは木のレーンで傷が微妙に影響して、金沢にいた頃よりもスコアが伸びなかった記憶が今でも残っています。

それが今現在、プラスティックレーンが主流となり、当然ですが朝練しているROUND1はもちろんプラスティックレーン。

今日の朝行くと、いつもは一桁のレーンで1レーンか3レーンへ誘導されるのですが大会があるのか一般レーンしか選択できず、名前の通り一般レーンへ。アップしたり、手にテーピングしたりと準備をしていると店員さんが、会員レーンに移動できると言われるので、違いが良くわからないまま移動。

ということで今日は会員レーンなるレーンで投げて来たのですが、いつも投げてるレーンとは全く違っていました。とにかく玉が曲がる!同じボウリング場でこんなにも日によって違うのかと思いながら調整して投げていると、今更ながらようやく理解できました。

ROUND1には、レーンコンディション(オイル)が基本として3つあること。

まずは一般レーンと言われるAタイプ。
これが今回空きがなく誘導されたレーン。結局投げず仕舞い。

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会員レーンと入れているのがBタイプ。今回投げたレーンコンディションはこちら。

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さらにもう1つCタイプという難易度がUPしたコンディションがあって、いつも投げているレーンはどうやらCタイプだったことを今更理解。

現在はレーンコンディションをいくつも再現可能な制御の上に作り出せるということに驚きです。こうなると単にハイスコアを目指すだけではなくて、難易度高いレーンコンディションを攻略した上でスコアを目指すという、何だか違う遊びになった感覚があります。

ちなみに今回はBタイプのレーンを投げた訳ですが、Cレーンに比べると確実に中に入ってくるので何となく上手になった勘違いしてしまいますね(笑)。

レーンコンディションには定例のものだけではなく、いろんなパターンが不定期に出て来るようなので、今投げているコンディションは何かを今後気にしていこうと思います。

 

 

 

 

久しぶりにパエリア

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いつの間にか、休日の朝昼晩すべての食事は自分が作ることになってるんですけど、久しぶりにパエリアにしました。あとマカロニサラダも。
そういえば手羽元のパエリア作ったことなかったなと思い、この日新しいシューズ(ヒートレーサー)でハーフ走って結構ボロボロになった身体で買い物へ。

自分の作るパエリアは適当なのでサフランなくてもカレーパウダーで代用して、あとは目分量で。気にしているのはお米を炒めた後に入れる水。ここをあらかじめ味付けして沸騰している状態で入れる点。
水から始めると炊き具合が難しくて芯が残ったりした結果、今のやり方に至っています。

久しぶりに作りましたが良い感じでした。

2021年2月の走行距離

140.5km
前月よりは距離を延ばせましたが200kmどころか150kmにも未達。
最低限の脚力維持だったかなぁと。

他責な点としてはコロナ。
石川県下の感染者数が二桁で推移していたのでジムはもちろんとして、屋外のランニングも自粛した前半でした。後半は落ち着いてきた感があり、無人の夜の河川敷を雪の影響がないコースを探して走って距離を稼いだという感じです。

なのでポイント練習は全くなくて、心拍を追い込まないレベルの走りに終始しました。

あとは新たに始めたボウリングの影響。
朝の投げ放題の時間帯に投げ込んでいるので土日のラン回数が減ったのは確か。
理想は朝はボウリング、日中にランニングなんですが、家族の時間がなくなるのも問題なので、好きなことばかりにならないように努めています(苦笑)。

3月はもう少しは距離は伸ばせそうかと。
できれば、練習の質はさておき、200km到達しておきたいと思ってます。

 

ROUND1朝錬

初めてROUND1でボウリングしてからこれで5回目。
2か月で5回なので結構な頻度で土日のどちらかの朝に行っていることになります。
最初は、球が落ち気味でスピードも16km/h台と遅くとても投げているとは言えない状態でしたが、今日で19km/h台に到達ししっかり投げられている感覚になってきました。

今日は8G投げAve.171。

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まだまだミスが多い状態で、さらに投球ミスも多くて安定してません。ラッキーでストライクになっている点を除くといイメージ通り投げられた回数はごくごく少なく、もうちょっと投げ込みたかったですが、朝飯作らないといけないので、時間制限つけて終了。

今日の意識した部分は顔の位置と角度。
顔を球の軌道上に置く意識、顔の角度を水平にする意識。
こうすると肩が下がることになるんですが、どうも今のボウリングの常識ではそれでOKで、身体の芯より玉の軌道を遮るポジショニングは避けることが優先の模様。
このフォームの感覚は掴めたような、すぐ忘れてしまいそうなような。。。

こんな試行錯誤をしばらく続けていきます。