赤坂天王山古墳をチェックした後、近くの舒明天皇陵に向かいました。
舒明天皇は、歴史の教科書的には登場場面は少ない天皇です。
推古天皇の後を継いたのが舒明天皇ですが、時代は蘇我氏の権力が、蝦夷、入鹿と増大していく過程にあり実権は蝦夷が握っていたのでしょう。
ただし子には、天智天皇、天武天皇がおり、父の不遇を見て子は成長したって感じなのでしょうか(苦笑)。
ともかく考古学的には、レアな形状をした古墳で自分自身図面を見ても一瞬どんな形なのかをすぐにイメージができませんでした。
っというのは、この後しばらく天皇陵の標準形となる八角墳のさきがけで、八角墳の部分と前方後円墳の前方部のような部分が合体した形状をしています。
実際の古墳形状は、上円下方墳または上八角下方墳と呼ばれているようです。
舒明陵は八角墳が形成される過渡期の形を呈していて大変面白い古墳だと改めて実感しました。
段ノ塚古墳というだけあって、結構な石段です。
登り途中で左手に折れると、間もなく八角墳部分です。
っん?、ってことは、陵の中に実際は入っているってこと!?
宮内庁の指定領域が上円下方墳であり、実際の墳形とのギャップでこんなことになるんですかね???
古墳のある忍阪の地は、明日香村とはことなり観光客はほとんど見られず、大変静かでした。
来年再度赤坂天王山古墳を見に来ないといけなくなりましたので、その際には舒明陵の周辺も散策してみたいと思っています。
■忍阪段ノ塚古墳(舒明陵)
■場所 奈良県桜井市大字忍阪
■形状 上円下方墳または上八角下方墳
■規模 不明
■築造時期 7世紀後半