今年初の遺跡チェックは沼津に遠征して高尾山古墳を見てくることにしました。
高尾山古墳は、以前紹介したことがありますが、一時都市計画道路建設予定地に古墳が重なるため取り壊しと決定したが昨年沼津市長により撤回され現在保存方法を含めて検討がされている古墳です。
この古墳をどうしても見てみたかった理由をまとめてみます。
・築造年代が230年~250年という時期
古墳時代とは前方後円墳の出現をもって始まりとされています。そして最初の前方後円墳として箸墓古墳とする考え方と、同じ纒向古墳群にあるホケノ山古墳等の帆立貝形状をした纒向型前方後円墳をもって前方後円墳とする考え方があります。
●箸墓古墳(奈良県桜井市)
●ホケノ山古墳(奈良県桜井市)
●箸墓古墳(奈良県桜井市)
●ホケノ山古墳(奈良県桜井市)
よく定型化という言葉が用いられますが、箸墓古墳によって定型化したのか、帆立貝形状の墳墓をもって定型化したとするのか議論がそのままどこまでを弥生時代としてどこからを古墳時代とするのかという整理に関わってきます。
そしてその時期と関係してくるのが邪馬台国の時代。
私が中学校で歴史を習っていたころは、邪馬台国の卑弥呼の時代は弥生時代で、ヤマト朝廷(現在は朝廷とは言わずヤマト政権と教えるようです)の時代を古墳時代と言って4世紀の話とされていたのが、現在は古墳時代の定義がどんどん遡っています。
これだけ研究が進んだということですね。
私が年2年前の3月に行ってた箸墓古墳のシンポジウムもこの説に立っています。
ちなみに卑弥呼は248年頃に死亡したと考えられています。
高尾山古墳の築造時期に関しては、稀なケースとして2つ見解が出されています。それだけ慎重にならざるを得ない時期ということですね。
高尾山古墳の築造時期に関しては、稀なケースとして2つ見解が出されています。それだけ慎重にならざるを得ない時期ということですね。
・前方後方墳という墳形
前方後方墳はヤマト政権の主流の墳形ではありません。古墳群の中には前方後円墳と前方後方墳が併存している場合もみられますが、古墳の規模は巨大化していく前方後円墳に比較して小規模で60m以上で全体の1割強となります。
高尾山古墳は前方後円墳の中では、62.18mと大型であり築造時期としては最大規模となります。