№2の履中陵を見た後は、陪塚を見ながら歩いて代表的な古墳を見て回ります。
まずはいたすけ古墳を見て、歩いていくにはやや離れた№3土師ニサンザイ古墳があります。
●土師ニサンザイ古墳(前方後円墳/全長300m以上/時期:5世紀後半)
全国第7位の規模となる古墳ですが、被葬者はわからず陵墓参考地となっています。
Googlemapで眺めてみます。
Googlemapで眺めてみます。
履中陵の際に記載したように、ミサンザイとかニサンザイはミササギ(陵)から来ているので大王墓なんでしょう。
この古墳では後円部に橋が架かっていたということでニュースになりました。
当時自分もこの橋の意味の整理のためにblog記事にしてましたけど、いよいよ初めてチェックできたので百舌鳥古墳群の中で一番見たかった古墳でもあります。
いたすけ古墳から結構歩いて後方部に到着。
ぐるっと一周回ってみることにしました。
土師ニサンザイ古墳は、陵墓参考地になっているのは墳丘で、古墳の周濠は堺市の史跡となってるんですね。
だからなのか、陵墓参考地だけど古墳の説明の看板が立っていました(かなり劣化してますが・・・)。
後方部の前は公園になっていて、ランニングしている方もいました。
後方部の前は公園になっていて、ランニングしている方もいました。
土師ニサンザイ古墳を日常の練習場にできるなんてウラヤマシイ(笑)!
後方部から側面を歩いて回ります。
看板二つ目発見(こちらは鮮明でした!)。
後円部にセメントで固められた橋がありました。
ここが発掘の後なのかなと当初は思いましたが、軸からずれている場所なので、発掘現場は別なんでしょう。
古墳が巨大だと一周回っていてもわかりにくくって、こういうのはGooglemapで確かめられるので便利です。
また周濠から発見された橋というのも、陵墓参考地外だからできた調査と言えるのか、と改めて納得。
さらに回ると、土師ニサンザイ古墳のシルエットで目立つ造出部に。
さらに回ると、土師ニサンザイ古墳のシルエットで目立つ造出部に。
一周回ると2kmにはなるでしょうか。
ぐるっと回って後方部に到着。
ぐるっと回って後方部に到着。
周濠が陵墓参考地外というだけでずっと古墳を眺めながら一周できるので十分古墳を堪能できました。