新年あけて初めての記事なので真面目に!
昨年末に宮崎西都原古墳群に再度赴くことができました。
なぜ宮崎なのか?
詳細レポはこれからですが、この古墳群の多くの前方後円墳の形状が柄鏡式と呼ばれる
柄鏡のような形をした前方部が広がらず、さらに後円部に比べて低い形状をしています。
この特徴は前方後円墳の初期の形と言われています。
一方、定型化された前方後円墳の最初と言われるのが箸墓古墳。
箸墓古墳の形状は柄鏡式ではなく、前方部が徐々広がる撥型(弦楽器で使う撥に似ている)と呼ばれる形をしています。
ざっくりイラストにするとこんな感じです。
横から見ると前方部の高さが違うのでより違いがはっきりします。
初期の前方後円墳の形は柄鏡式なのか?撥型なのか?
それはつながりがあるのか?ないのか?
このような謎がどうしても気になり、柄鏡式の前方後円墳しっかり見ておきたいというのが宮崎遠征の理由でした。
では柄鏡式の前方後円墳は近畿にないのかというと、そんなことはなく箸墓古墳からごく近いところに巨大な規模の存在しているのです。
メスリ山古墳と桜井茶臼山古墳と呼ばれる巨大な2基の前方後円墳です。
実はこれだけ古墳を見ていながら、さらに近辺には何度も赴きながらの2基の古墳は未チェックな状態です。
宮崎に話を戻しますと、この地には天孫降臨の神話由来がたくさんあり、初代神武天皇の伝説が各所に伝えられています。
今回の旅行でのその地のいくつかを巡ってきました。
神武天皇に関しては、戦後教育の中では実在しない天皇として扱われています。
神武天皇の東征神話の細かなところは省略しますが、劣勢になった際に金色のトビが弓に飛来し光で敵の目をくらまし勝利したという話があります。
実は、上記のメスリ山古墳、桜井茶臼山古墳のある場所がトビ(外山)と呼ばれる地域です。
(そうそう故森浩一先生は、桜井・・・ではなく外山茶臼山古墳と呼ぶべきだと言われて、外山を重視されていました)
宮崎と奈良県桜井市には柄鏡式の前方後円墳があるという事実と箸墓古墳の撥型とは今現在の見解はどうなっているかの勉強をしておきたいし、考古学はフィールドがもっとも大事なので、2018年は再び奈良に注目して古墳のチェック、文献のチェックをしていきたいと思っています。