遅くなりましたが5月に家族旅行で名古屋に行った際に、熱田神宮を参拝してきました。改元したばかりとあって御朱印の列が大変なことになっていましたが、境内全体としてはそんなに混むこともなく、初体験してきました。
私の家族のことを少し書きますと4人家族で、小学6年生と2年生の息子が二人。家内は歴史に全く興味なく、今回の名古屋旅行はひつまぶし食べて、子供たち行きたいところ行ってという、自分には全く主体性の無い旅だったんですが、なぜか訪問先に熱田神宮がピックアップ。
内心はココロオドル名古屋旅行となりました(笑)。
金沢からは北陸自動車道を通って向かいますが、途中に伊吹山が見られます。
せっかくなので運転しながら伊吹山と熱田神宮の関係をチラッと話してみると何と話がつながるではありませんか(驚)!
ご存じない方のために簡単に解説すると景行天皇の息子であるヤマトタケルが所持していた草薙剣が祀られているのが熱田神宮です。ヤマトタケルが息絶えたのが伊吹山の神との闘いでした。ヤマトタケルが息絶えた原因は、その時に草薙剣を所持していなかったためでした。
名古屋に向かう車中で、話が通じないと思いつつ話したヤマトタケルの神話が家族に通じるとは。ただ話として通じたのは伊吹山の話ではなく、もっと初期のヤマトタケルの兄を殺した部分だったけど。この神話は景行天皇から「ちょっと懲らしめてきてくれ」という指示をヤマトタケルがかなり拡大解釈して残忍な方法で殺害するというもの。ヤマトタケル神話の冒頭部分を小学校で習ったようなのです。「なんか聞いたことある」というリアクションから熱田神宮の価値をたっぷり家族に話つつ現地へ到着しました。
改めて熱田神宮について。
令和天皇即位で注目浴びました三種の神器の1つ草薙剣が祀られています。古代史視点では今ではわからないのが建築様式がかつては尾張造という独自性があったこと。尾張については考古学の視点では見解がまだまだバラついていて、どのように整理すればよいのかはわかっていません。尾張を含めた東海とはどんな勢力だったのか?まだまだよくわかっていません。
参拝して、熱田神宮境内をゆっくりと見て回りました。朝10時前に到着したので日差しが柔らかい中、
この塀は時代が下って織田信長が桶狭間出陣の際に熱田神宮で祈願した感謝として奉納た塀とのこと。瓦が積み重ねられて面白い。ただし時代が下るとあんまり興味が湧き出てこなくて写真撮って退散モードに(苦笑)。
お昼ご飯にはちょっと早かったですが、境内に入口にあるきしめん屋さんで軽くいただくことに。