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淡路釣り遠征2019 宿と食事の想い出 -1-

2年ぶりの淡路遠征に行ってきました。
昨年は遠征仲間の健康上の都合で断念。
2016年も同様のアクシデントで断念となっていてここ最近は2年に1度のイベントになってしまって継続が危ぶまれる中、無事愉しんでくることができました。

30年近く通っているといろいろあるものです。
宿も常宿を変えること数度。
今回の遠征を備忘する前に、淡路旅の宿と食事を記録しておこうと思います。

最初が1994年だから今から25年前。まだ明石大橋はなくフェリーで渡航しての釣りでした。コンビニはなく宿も見つけるのが困難な時代。
そんな時の最初の宿は、民宿「田舎」さん。
遠征先が淡路島の中でも、郡家、津名というあたりをターゲットにしていて最寄りとなると選択肢はここのみ。2年位やっかいになりました。今も建物と表記はありますが営業はしてないのか?よくわかりません。

その後、1997年に阪神淡路大震災があり、遠征継続が危ぶまれましたが、被災の傷跡が残る中も淡路に向かい出会ったのが民宿「ふぐ和」さん。以降10年近く常宿としてやっかいになった思い出深い宿です。ふぐ和さんは、震災前は神戸でお店を出していたのが震災により断念。淡路島へ移り民宿を買い取って、料理メインの宿を始めたということでした。自分たちが宿がなくて探していた時に偶然見つけた出会いでしたが、淡路牛コースと鱧コースから選択で、ボリュームある美味しい料理が楽しみな旅になったのでした。過去のPHOTOから、
【鱧コース】

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【淡路牛コース】

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そのふぐ和さんの親父さんの訃報を聞いたのが2009年頃。年に一度ですが深いお付き合いをしていたので、奥さんから携帯に連絡もらい、もう民宿も休むということでした。ここしかないという位、淡路ではお決まりの宿であり、釣りの成果とともに料理とお子さんたちの成長した具合も楽しみにしていたので、淡路遠征の一時代の区切りの出来事でした。

その翌年より3年間、ふぐ和ロスの影響からさまようことになります。ふぐ和ロス1年目は南淡の宿で大量の玉ねぎ料理が出て食べきれなかったので1年で断念。
次の年から2年は、別の淡路牛のステーキが出る民宿へ変更。ここはビール飲みすぎがストックが切れてしまって、途中で買い出しに行ってもらってさらには、それでもビール調達が厳しく、「淡麗でごめんね」と言われた思い出が(汗)。
この民宿は名前忘れましたが、夜鹿が群れで走ってたので少し山手だったかなと。

-2-へ続く。