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サブ3.5ランナーのマラソン記録、古墳を楽しもCHANNEL!で伝えきれないこと

鬼の窟古墳(206号墳):宮崎県西都原市(2017.12.24)

いつかはやらねばと思っている西都原古墳群のレポ。2年連続で訪問してから早2年。新年の夜長に重い腰を上げレポに取り掛かりました。PHOTOは2016年夏と2017年冬が混ざっています。

鬼の窟古墳(おにのいわやこふん)

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この古墳は西都原古墳群のガイダンスセンターに車を停めるとすぐに目に入る古墳です。形がメキシカンハットのようになっている面白い古墳なのですが、名称の由来になっている日向の伝承があります。

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西都原観光協会サイトから解説引用します。

・西都原古墳群の中の206号墳
・西都原台地のほぼ中央部に位置し、直径37m、高さ7.3m、土塁の高さ約2~2.6m・土塁の基底部幅約9mを有している円墳。
・西都原古墳群で唯一の横穴式石室を持ち、墳丘の周囲には土塁(外堤)を廻らす特異な形状は、全国的にみて他に例がありません。石室の天井石は畳3枚程の大きな石を使っていて、石室の規模は、羨道の長さが4.82m、幅2.29m、高さ1.8m、奥方の玄室は、長さが4.82m、幅2.29m、高さ2.15mあり、全てが加工された切石で積み上げられています。
1995年(平成7年)から整備を伴う調査が行われ、築造当時の状態に復元・整備されています。

西都原古墳群は300基以上の古墳で構成されていますがその中で唯一の横穴式石室となります。また古墳群では最後に築造された古墳と言われています。名前の由来となる伝承の解説もあるので引用させてもらいます。

西都原あたりにいた鬼が、コノハナサクヤヒメを見初め父神のオオヤマツミノカミに「嫁にください」と申し出ました。オオヤマツミノカミは困り「明朝、夜明けまでに大きな石の岩屋を造れ、それが出来たら娘をやろう」という条件で岩屋を造らせることにしました。鬼は喜び岩屋造りにとりかかり夜明け前に岩屋は完成し、安心した鬼は眠ってしまいました。 一方、出来る筈は無いと思っていたものの心配になったオオヤマツミノカミが様子を見に行くと驚いたことに岩屋は完成していました。
オオヤマツミノカミは、疲れて眠り込んでいる鬼に気づかれないように岩屋の天井石を1枚抜き取り投げました。そして、オオヤマツミノカミは岩屋が完成していないことを理由に鬼の申し出を断わりました。
コノハナサクヤヒメは鬼のお嫁さんにならなくて良かったけれど、可哀想なのは鬼、それからこの岩屋は 「鬼の窟」と呼ばれるようになりました。

コノハナサクヤヒメというのは女狭穂塚古墳の被葬者とされ、ニニギの妃となる人物です。ニニギと出会う前の話として鬼の神話が古墳の由来として伝承されています。

鬼の窟古墳への見解は後述として全体を見てみましょう。

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土塁(外堤)の中はこんな風に窪んでいます。
石室内に入ってみましょう。

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かなりの規模の石積みです。2016年の際はライトが灯っておらず、暗い石室カットが撮れていたのでこちらも。

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ここで改めて鬼の窟古墳の古墳群の中での位置関係を再確認します。西都原考古博物館サイトからMAPをお借りしました。これだけたくさん古墳がありますが、女狭穂塚/男狭穂塚の築造後は西都原古墳群は衰退していきます。近くを流れる一ツ瀬川対岸の新田原古墳群へ勢力はシフトしていき前方後円墳は造られなくなりました。ところが6世紀後半から、202号墳(姫塚)、そして206号墳(鬼の窟古墳)が築かれたのです。MAP上で見ると、この2基は他の古墳群からは外れた場所にあるのがわかるでしょうか。

自分自身が興味を持ったのは、鬼の窟古墳の形状ももちろんですが、古墳群最後の古墳であるということ。これは素人の仮説ですが、もしかしてこの古墳は未完成なのでは?と考えるに至りました。

一般的には土塁(外堤)のある特徴は、中国・朝鮮半島に見られる形状として紐づけた説があり、さらには明日香の石舞台古墳にも同様の特徴があると関連づけられています。本当にそうだろうか?と思うのです。

 

●古墳の築造過程で土塁はできてしまうのでは?
古墳は周濠を掘って内側に土を盛る、この過程で一時的に土塁ができるのでは?このように考えたきっかけは大阪府立近つ飛鳥博物館大仙陵古墳の模型の脇にある古墳の築造過程を説明したジオラマから。

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誰も目に留めなさそうなマイナーなところからですが、こちらを拡大すると、鬼の窟古墳にそっくりではないでしょうか?
違いはこの模型は竪穴式石室であることですが、模型では外堤は整形され埴輪が置かれるとなっています。ちなみに鬼の窟古墳の内溝にはたまった水を排出する排水溝の跡が発見されていますが、これも完成前の土木工事上必要な施工だったと言えるか否か。

●鬼の伝承は何を語っているのか?
コノハナサクヤヒメに求婚し、約束通り一夜で窟を完成させるも寝ている隙に父親のオオヤマツミに天上石を抜かれてしまって"未完成"扱いされる不憫な鬼。抜かた石は別の場所に祀られているということですが、伝承通りなら窟は完成してない。伝承が意味するところは古墳が未完だということを示している可能性はないでしょうか?ちなみに鬼の窟古墳からは組合せ式木棺と推定される鉄釘や耳環金銅装馬具、須恵器、土師器が発見され、西都原古墳群最後の首長が被葬者であることは確実なようです。

最後の首長の墓は完成したのか?否か?
自分はコノハナサクヤヒメと鬼の伝承から、土塁(外堤)の形状から未完成な古墳と見立てましたがいかがでしょうか?
なお背景として横穴式石室という西都原としては新技術導入で難航した可能性もあるのではないかなとも。

最後に古い鬼の窟古墳のPHOTOを転載します。

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こちらは、NHKブックス『古代日向の国』日高正晴著からの転載です。著書九州大学考古学研究室提供とあるので転々載になります。いつ頃なのかは記載がなくわかりませんが、墳形は状態よく残っていたのがわかります。ちなみこの書著は1993年の初版を購入してるんですが当時どんな想いで手にしているのは全く記憶になく、実に20年以上経過してからやっと日高先生の研究成果を有難がっているところです。

・・・2016年夏訪問時のカットで終りとします。

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西都原古墳群レポはまだまだつづく。。。