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小山田古墳へ新説

考古学のニュースを備忘しておくのが遅れてしまっていたのですが、昨年11月小山田古墳がもっと巨大だという説が出ていました。小山田古墳に関してはこちら。

方墳だと確定したのが2019年2月。1年経つことなくより巨大であると奈良芸術短大の前園教授が新説として発表。現在被葬者に対しては大きく、
蘇我蝦夷・・・前園教授はこちら(自分も蝦夷説です)
舒明天皇
があります。今回の前園先生の視点はざっくりと以下でした。


・平成5年の明日香村教委調査
ここで古墳中心部から140mの場所で貼石護岸遺構発見でいたとのこと。なおこの時点では小山田古墳は地中にあり存在が知られていませんでした。
・この遺構構造と平成26年の積み石が共通で方位も一致していることを指
平成26年は小山田古墳が発見された時。当時は古墳かどうかも確定していませんでした、積み石がたくさん発見されました。現地説明会に駆けつけた時のPHOTO。

これと平成5年の近隣調査結果を紐づけた訳ですね。
・高麗尺での築造プランに当てはまる
蘇我蝦夷の墓であった場合は、近くに入鹿の墓があったはずで、蝦夷説の場合にはそれは菖蒲池古墳に比定されます。高麗尺での計測の場合は、古墳中軸線から貼石護岸まで400尺(142m)。反対側にある菖蒲池古墳の中軸線までも400尺ということ。このことは日本書記にある蝦夷・入鹿の双墓が同一プランで築造されているとし、小山田古墳の墓域が東西300mクラスとなり、墳丘規模としても約90m四方ではないかと仮説化されています。
これは従来よりも一辺約10m大きな古墳ということになります。

この先生の説を地図に描いてみました(暇人笑)。

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今回のニュースリリースのソースは、山川出版から発行されている『古墳と国家形成期の諸問題』に格納されています。この中におそらく図があるんでしょうけど、すごく高い本で自分には買えません(苦笑)。ということでもし前園先生の説明を地図に描いたもの把握している方おられましたらぜひ教えてほしいです。
自分が地図上に描くと、西にある菖蒲池古墳に小山田古墳の墓域がかかってしまいます。これでよいという見解なのか?そもそも描き方が間違っているのか?
小山田古墳の墓域の赤線は、古墳の中心から142mに貼石護岸があったという前提で入れてあります。

ともかく小山田古墳は、現在進行形で新しい情報が出てくるので注目しておく古墳であることは確かですね。今後も見放せません。