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サブ3.5ランナーのマラソン記録、古墳を楽しもCHANNEL!で伝えきれないこと

『古代日中関係史』河上麻由子著

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この本は、発刊後しばらくたって購入したんですが、きっかけは先月、造山古墳の現地説明会があって(行けませんでしたけど)、造山古墳を改めて復習していてると造山古墳と時期を同じくして規格も規模も非常によく似ている履中天皇陵も復習したくなり、これをやっていると倭の五王の全体像を再度復習したくなって、

こちらを再読してたりしたのですが、周辺調べていると同じ中公新書で河上さんの本に巡り合ったという次第です。前置きが長くなりました。

内容は従来の古代史観を打破しようとする意気込み大なものでした。と言っても仮説を積み重ねていつの間にか前提となってるトンデモ本の類ではありません。日本で古代史の研究しようとすると研究室の先生の考え方を踏襲となるし、オリジナリティ出そうとすると隙間を突く細部の研究になりがちだと、素人からは見えます。そうするとどうしても歴史を見る目が分断されてしまって大局観ある通史としての日本史研究はなかなかに難儀なものです。

河上さんはその難題にトライしている若干40歳の若い研究者です。

私がこの本を手にした目的は倭の五王視点でしたが、河上さんの研究の中心は東洋史というか東アジアの宗の時代前後の様々な再編かなと。フィールドが幅広く好きなことをされている印象なので本当は良く分からず。

日本に倭の五王の研究は、どの天皇に該当するかとか、宋書倭国伝と梁書倭伝の登場人物が若干違うけど同一人物か否かとかという視点。

一方河上さんは、宗を建国した劉裕(りゅうゆう)の視点から組み立てます。そうすると倭は他の国に比べて中国との関係性が全く築けていない焦りを理解することができます。420年に宗が建国され百済は鎮東将軍→鎮東代将軍、高句麗は征東将軍→征東代将軍と将軍から大将軍へ昇進しているのに、倭は眼中にすらなかった状態。

翌年421年、倭王讃はおそらく大慌てで朝貢したんでしょうが、爵位がもらえた記録はありません。このような視点で以降の動きを捉えていくアプローチはなかなか無いです。

中公新書の『古代日中関係史』発刊にあたった河上さんのインタビュー記事がありましたのでリンクを。

↓インタビューからの抜粋↓

●遣隋使もその前後の使者と同じく朝貢であり、対等を主張したなどという「画期」とは認められない
●時代区分による叙述の断絶を超えてみたい
●「アジアに冠たる大国=日本としての歴史はこうあらねばならない」、という時代はもう終わった
●小学校の卒業文集には、いつかエジプトのピラミッドを発掘して、そのピラミッドの罠にかかって死ぬのが夢だと書きました
●本当は中世史をやりたかったのですが、中世史の先生に、「中世をやるなら古代をやってからこい」と言われました。古代の勉強がいつまでも終わらないので、中世史にはまだ進めそうにありませんが(苦笑)
●若い頃から各地を転々とすることで、色々な遺跡を踏査できたのも大変幸運
●特定のイデオロギーを正当化するため、自分が欲しい情報だけを切り取る風潮が強く、とても危惧

スケールの大きな方だとつくづく感じます。