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サブ3.5ランナーのマラソン記録、古墳を楽しもCHANNEL!で伝えきれないこと

震災から10年ー2-

ギリギリ動き出した都営新宿線でとにかく帰宅。到着が何時だったのかは記憶にありませんが、その後何年たってもお客様と懇親してると初めての方と必ず話題になるのが、「あの日どうしてました?」という点。

都内から千葉まで歩いた方もいたりと、皆さんいろんな1日を体験していたようです。ただ本当は無理に帰宅する方がリスクだったらしいですね。当時はそんなこと考えずまず営業所員の無事と帰宅手段を判断した上で、自分は無理そうなので辛うじて開いていた居酒屋にいた訳ですけど、何とか戻って家族の顔が見れました。
当時妻が臨月で、長男の面倒を見ながら水槽からあふれた水の掃除をしてくれて本当に感謝でした。

翌日は確か土曜日で休みの中、福島の状況をTV観ていると、水素爆発とか飛んでもない情報が飛び込んできて、日本はどうなるんだろうと本当に思いました。
日曜を過ごし月曜からの出社が確か電車が動いていなかったんじゃないかと記憶しています。結果、自転車で出社しようとしたのですがほとんど乗っていなくて空気が抜けて、さらに空気入れも無い状態。何とかどこかに空気入れが無いかを探しながらもないので抜け気味なタイヤで浦安を出発。

当時はまだランナーじゃなく体重が今より10kg以上あり、自転車のスピードが遅くて遅くて(苦笑)。抜かされることはあっても抜くことは決してなく神田の事務所に到着。

到着してやる仕事というのは案件の中止処理。ひたすら中止処理をシステム入力しました。

土日を経て心配事は津波被害よりも放射能へ。
原発が爆発するという想像できない出来事の中、自分たちは東京にいて安全なのか?という思いが。他にも有明の倉庫の被害とか、いろんな情報が次々と入ってきて、全容が分かってくると事の大きさに改めて驚愕した訳です。

まあ、そうはいっても仕事は中止処理しかないのである程度終えたらぼちぼちで帰宅。
帰ってから家族はしばらく川崎の実家に行くことに決定。
最寄りの西友の棚には食材が全くなくなにより断水してしまって生活するにも支障があるので一旦浦安暮らしは自分だけに。

その後浦安は液状化があったりマンション断水はしばらく続いて、家族が最後にお風呂に入った残り湯を運よく流さなかった水でしばらくは生活することになるのです。
エリアが完全に断水という訳じゃなかったらしいですがマンションの上の方まで水が組み上げられないらしくて、一週間位は、お風呂の残り湯をトイレに使いながら過ごしました。途中銭湯に行ったところ、出口まで行列がはみ出ていて断念。

約一週間、風呂に入らず過ごし、翌週末に本社金沢へ出張した際に、「獣くさいと思います」と会議で報告したのを今でも覚えています。