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サブ3.5ランナーのマラソン記録、古墳を楽しもCHANNEL!で伝えきれないこと

【奈良旅2022#10】浄見原神社

何とか続きそうです。。。
#10で初日の午後にようやく回った位でしょうか。少し端折るかもしれません。

このあと古墳は一段落として、吉野の方に向かいました。計画としてもそうしようと思っていたので桜井市の方から宇陀で向かいグルっと回るルートで吉野の国栖の里にある浄見原神社が次の目的地。実はここも以前訪問していて、それでももう一度行ってみたく再訪となったのです。

場所は結構離れるんですが、大海人皇子壬申の乱の前に隠遁した先であり、吉野宮よりさらに奥にある場所です。ここの崖に神社があるのです。そもそも以前なんで行ったのかは記憶にないのですが、再訪してみたくなる場所ということですね。

 

レポートは動画にしてみましたのでよろしければ御覧ください。なお駐車場があるらしいのですが自分は見つけられず、結構離れた場所に駐車して歩いて現地へ向かいました。

 

追伸。動画では説明しきれなかったところで万葉集にある天武天皇の歌。

この歌は、壬申の乱のあと、679年に吉野宮へ行幸した時の歌ということなんですが、この時は、一緒にたくさんの皇子を連れてきていて、お互い助け合うことを盟約した時の歌になります。

天武天皇本人は皇位継承争いで甥にあたる大友皇子を退ける訳ですが、息子たちにはそんなことにならないように盟約させたのですが、その後不幸は続くことになるんですけどね。ちなみにこの歌の訳としては、

 

立派な人がよい所としてよく見て

「よし(の)」と言った、
この吉野をよく見るがいい。

立派な人もよく見たことだ。

 

とのことです。吉野にかけて「よし」の韻を何度も踏んでいる歌です。

出張終えてもホテル暮らし、さらに奈良では大発見!

18日(水)からしばらく出張してまして本日ようやく帰ってきました。
その間、寒波が来ていたりと移動に支障が出てもおかしくなかったんですが何とか巻き込まれずに移動できました。

そして戻った自宅に帰るのが普通なんだけど、金沢に戻ってもホテル暮らしです。

理由は、長男の受験が控えていて、万が一コロナ感染で受験できないと一生後悔するということで、全国飛び回ってきた自分が代表して隔離されているのです(笑)。

 

しかし考古学ニュースとしてはとんでもない発見がありました。富雄丸山古墳。

盾型銅鏡!?

こんなものは見たことがありません。ただこれ、この間整理した行燈山古墳の銅板の意味につながるんじゃないかと頭に浮かびました。

これが何なのかわかっていないのですが、今回の発見が何かヒントになるかもしれないと思いました。

他には、とんでもない大きさの
蛇行剣!

蛇行剣は、くねくねと曲がった剣で、今回発見の剣は2m以上もある大きさ。こちらも想像を豊かに書くと、蛇行剣は

盾型銅鏡といい、蛇行剣といい、発見即国宝級ということで考古学関係では大変賑わっております。ちなみに現地説明会が明日と明後日の土日に開催されています。出土した遺物は見ることができませんが、これだけのニュースであり大変な人の賑わいとなるでしょう。

自分はというと行きたくて仕方がありませんが、出張から帰ってさらにホテル暮らしの身であり、そこからさらに出かけるなんてことは今回はやめとこうと思います。

 

 

【奈良旅2022#09】行燈山古墳を空撮

何とかレポ続いております。。。

実際の旅路とは順序が変わりますが、次は行燈山古墳のことを。
行燈山古墳は、崇神天皇陵として治定されている大きな前方後円墳です。
その昔訪問の際に5センチ位の小さなスッポンの子供を見つけまして濠に逃がしてあげた記憶があります。

今回はメインではなくその奥にある櫛山古墳がお目当てだったんですけど、古墳が巨大で空撮の画角に入るので行燈山古墳で1つ動画をまとめてみました。

改めてになりますが、行燈山古墳が崇神陵か景行陵かという点は結構混乱してるんですね。江戸時代の史料を確認しても決定させるのが大変難しい様子が伺われます。

今回はせっかくなので、空撮は後半として前段に行燈山古墳にまつわる基礎情報を格納してみましたのでよろしければ御覧ください。

 

共通テスト日本史bにトライしてみた

昨年同様に、共通テストを朝やってみました。昨年は日本史aに取り掛かってしまい、全く古墳時代が出てこなずおかしいなと思いあとから、気づいてbをやってたんですが、今年はしっかり「b」だけ解いてみました。

結果は、昨年より2点下がって73点。
無勉強でチャレンジすると、年代前後関係の問題が曖昧になってしまって落としたところが多かったです。あとは近代が一気に怪しくなるのでミスが多くなりました。

平均点がどのくらいとかはこれから出てくるんでしょうけど、史料とそれに関係させる問題設定が少し強引かなという気がしました。史料として掲載されている情報を理解しようがしまいが、設問に入ったらそれだけで判断できるような内容が多かったように思います。

今回は「鎌倉殿」観て鎌倉時代の前半は大丈夫かなと思って臨むも全く出題なし。
弥生から古墳時代も全く出題なし。
飛鳥時代も全く出題なし。
奈良時代の前半が若干キーワード出てくるかなという程度。

ということで好きなジャンルがほぼ無しという出題でしたけど、それにしてはまあ73点なら上出来かなと思います。来年は古墳時代が出てくることを期待してます(笑)。

 

 

 

 

 

【奈良旅2022#08】桜井茶臼山古墳へ

久しぶりだからなのか、久しぶりでなくてもなのか、再訪したくなる場所が奈良には数多くあり、桜井茶臼山古墳もその1つでした。その後追加の情報がプラスされるからなんでしょうかね。

桜井茶臼山古墳については、4年振りの訪問となりましたけど、昨年撥形じゃないかというニュースが流れ自分の理解もかねて動画にしたのが半年前。

今回は、この古墳の空撮を目的があったので、午前中の人の少ない時間帯を見計らって行ってきました。っと言っても人は全くいませんでいたけど(笑)。

いずれ動画編集しようと思いますが、一旦上空からの写真を。

7月の動画内でも疑問を入れさせてもらいましたが、どう考えてもバチ形じゃないです。古墳の全長が200mを超える古墳の全景をおさえるのはなかなか大変でした。ドローンは150m以上を飛ばすには特別な許可が必要で、200m超えるとここがギリギリになります。

桜井茶臼山古墳は、柄鏡式と呼ばれる前方後円墳で、副葬された鏡の数が81枚以上はあるだろうと言われているとんでもない古墳です。しかし、柄鏡式であるが故?か、大王墓としての候補には過去からなぜかあがらない不思議な古墳です。丁度別の資料準備をしていた関係で、『聖蹟図志』という安政元年(1854年)の絵を見ていたので画像を載せます。

真ん中の方に楕円で、景行、崇神という文字が見えると思います。その上に、楕円で囲わず「陵」の文字だけがあるのが、おそらく箸墓のこと。さらに上に上ると、櫻井の文字が見えます。この辺りに天皇陵に治定できなくても、可能性があるのなら記述があっても良いはずなのに、全くその形跡が見られません。今回訪問しなかったメスリ山古墳も同様で無視されています。

これは一体どういうことなのだろう?とか思いつつ、旅をすると一度訪れたことがある桜井茶臼山古墳が、全く別の顔で迎えてくれるようになるから不思議です。

【奈良旅2022#07】赤坂天王山古墳へ潜入

今回は旅の備忘が続けられそうなのでタイトルシンプルに変更しました。
過去は大概途中で力尽きてたんですが。。。

次に書いておきたいのは赤坂天王山古墳。
この古墳訪問は、実に9年振りとなりました。どうやら2013年の11月と2014年の3月に来ていたようです(ブログ記録)。当時は千葉に住んでいたので夜車で移動し朝古墳前に駐車している写真が残っていました。

赤坂天王山古墳は、崇峻天皇の真陵と言われている方墳です。簡単に崇峻天皇の位置づけを系図で。

蘇我氏の血が色濃いというか、蘇我稲目の孫になり、伯父さんの蘇我馬子の娘(つまり従妹)と結婚するというもう蘇我一族そのものですね。聖徳太子から見ると義理の伯父さんということになる、それが崇峻天皇です。

ちなみにこの系図内では確定ではありませんが、敏達天皇までが前方後円墳で、次の用明天皇推古天皇と方墳へ墳形が変わっていくと考えられています。これは蘇我氏の墳形が方墳でこの遷移がまさにこの系図の中にあると言えます。

(ここまで読まれている方はかなりご年配と推測しますが)歴史の教科書を思い出すと古墳時代飛鳥時代の区切が曖昧だった印象はないでしょうか。教科書では仏教伝来等文化の視点で曖昧さを残した記述になっていますが、時代区分の基準が政治であることを踏まえると、前方後円墳時代が終焉した、敏達天皇推古天皇の間に古墳時代飛鳥時代の境界があると言っても良いと思います。

話が少し脱線しましたが、その流れの中にあるのが崇峻天皇であり、最終的には伯父である蘇我馬子に暗殺されてしまいました。そんな崇峻天皇ですが、古墳に規模は堂々としたもので、四方約50mと、暗殺首謀者である蘇我馬子の古墳と言われる石舞台古墳とほぼ同じ大きさです。

この測量規模は2018年の報告書で更新されているので、古墳前にある説明板よりははるかに大きかったということになります。

潜入そのものは動画にしましたのでご興味あれば御覧ください。

まだまだ奈良旅記録はつづきます。

【奈良旅2022#06】黒塚古墳と言えば『鹿男あをによし』

正月のお休み中、旅を思い出しながら思い立ったように『鹿男あをによし』を借りてきてまとめて観てました。このドラマは鍵が黒塚古墳にありましてドラマも絡めて備忘します。っと言いつつこのネタは実は14年前にブログ書いてました!

このブログから改めて観る人はいないと思いますのでストーリーを書くと、大地震の原因とされる地底のナマズ1800年間、鹿と狐と鼠が鎮めていたことに異常が出てきていて、解決のために鹿から指名された人間が、キーアイテムである『三角』を巡り難題を解決していくというドラマです。

この『三角』が終盤に三角縁神獣鏡であることが判明するんです。この際に登場するのが黒塚古墳。

この古墳には大量の『三角』=三角縁神獣鏡が発見されているのですが、ドラマでは終盤に隠された場所が、この展示館の中なんです。

ここには33枚の三角縁神獣鏡があるべきところ、一枚多く34枚であることに、藤原先生こと綾瀬はるかさんが気づきます。主人公の小川先生(玉木宏さん)は、藤原先生の歴史の知識の豊富さによって、『三角』を手に入れることができました。

 

ドラマはさらにもう一波乱あったりしますが、黒塚古墳にまつわる過去ドラマネタでした。

黒塚古墳は、大王墓と言える規模ではないものの、それでもこれだけの鏡が埋葬されていました。さらに特徴として、鏡の鏡面が埋葬者側を向いていたのです。藤原先生が数えた鏡のツルツルした面が内側に向いているのが展示からもお判りになるでしょうか。

被葬者を外から守る破邪の役割なら、鏡面を外側に向けるはずなんですが、内側に鏡面があるということは、蘇らないように鎮める意味があったと想像されるんですね。黒塚古墳だけがそうなのか、ほかの古墳もすべての被葬者に対して鏡面を内側とするのがデフォルトだったのか?この点は、このような大量の鏡が出土する古墳の事例が他に複数ないと、確信を得られる結論にはなかなか至れません。

こんなことを想像しながら、ドラマとの相乗効果で黒塚古墳を愉しむのも良いかと思います。

改めて黒塚古墳の鏡だけの動画。

こんな背景やドラマを頭において鏡を眺めるのも良いかも(笑)!