楯築墳丘墓は岡山県倉敷市にある古墳の定義の前身となる弥生墳丘墓として日本最大の墳墓です。いつかは見たかった遺跡を先日見てきました。その際に案内板にあった復元図はこちらです。
墳形は双方中円墳と呼ばれるもので、円墳に突起が2つ付いた非常に珍しい形をしています。楯築墳丘墓は弥生墳丘墓では最大の全長72mを誇ります。しかしマニアはともかくこの遺跡の価値をどれだけの人が知っているのでしょうか?歴史の教科書にも登場しないし。今回実際に訪問してみて感じた点も踏まえましてレポートします。
●双方中円墳
国内では数例しか発見されていない貴重な墳形ですが、その代表例に挙げられるのは奈良県天理市にある櫛山古墳です。ただこちらは前方後円墳として定型化したのちの派生というのが、しっかりとわかる墳形で、確かに双方中円墳という名前でも良いのですが、後方付前方後円墳とでも言った方が良いのではないかという形状をしています。
↓Googlemapよりコピペ↓
木々が茂った後円部が右側でやや肥大しているところに方墳部分がある具合。楯築墳丘墓より100年後の古墳と言われています。双方中円墳としてメジャーなのはこちらなのが現実です。
全国的には有名?ではないかもしれませんが、楯築墳丘墓の後継としては高松市の猫塚古墳。高松市HPからお借りしましたが、方墳部の長さなど、楯築墳丘墓の系譜だと素人目にも判ります。瀬戸内海を挟んで近距離でもあるし。
↓猫塚古墳測量図(高松市HPより)↓
この墳丘墓から古墳への系譜がもっと全国区で話題になれば歴史の感じ方も違ってくるのにと思います。
●遺跡の保存具合
これは現地に行って来ての残念でしたが仕方のないこととして給水塔が遺跡の上に建築されていました。
過去仕方なかったんだと思いますが、今となっては残念なことであり、楯築墳丘墓がなぜもっと話題にならないかの原因がわかった気がしました。これじゃ遺跡を見たいと思えないです。
ちなみに岡山の考古学は、故近藤義郎先生が第一人者として発展させ、現在ではメディア露出も盛んな松木武彦先生が率いているという状況でしょうか。もちろん岡山大学考古学研究室の活躍も見逃せません。
もし墳丘墓を改めて勉強して古墳へという際には、古い本ですが近藤先生の上記書籍などは1冊持っておいても良いのでは。初版は25年前ですが今でも新鮮です。
前振りはこのくらいにして、次は楯築墳丘墓に実際赴いたレポとします。