改めて古墳時代の認識を問われた時に定義を明確できるかというと、つくづく歴史の先生は難しいなと思います。その上でこの教科書の記載は絞り込まれてはいないけど正確だと思います。
「古墳は大量の土を盛り上げてつくったもので、円と四角を組み合わせた前方後円墳のほかに、円形の円墳や四角形の方墳などがあらわれます。6世紀末ごろまで大規模な前方後円墳が全国各地でさかんにつくられたことから、そのころを古墳時代といい、その時代の文化を古墳文化といいます。
この表現のどこが適切か?という点を暇つぶしに記載してみましょう。
●古墳は大量の土を盛り上げてつくったもの
これは広義の意味で古墳を表現しています。考古学的には実際はややこしくて、古墳時代という時代のセグメントを先に行ったのに対し、弥生時代からの発見がどんどんと出てくると、古墳時代の定義自体を改めて行う必要が出てきているのが現在です。最も一般的なのは、桜井市の箸墓古墳をトリガーとする考え方。その前段階としてホケノ山古墳や、石塚古墳(墳丘墓)の段階で墳形設計の規格化(定形化)が進展したとしてこの段階を古墳時代とする考え方もありますが、いずれにしても纏向遺跡での段階をどう定義するかということで、子供たちに古墳時代について説明する際には、それ以前にもあった大きなお墓をどう整理するかが難問です。
考古学では弥生時代は墳丘墓と称しますが、そもそもの語感として古墳と墳丘墓に時代を表現するニュアンスが含まれているか?という疑問があります。
古墳・・・古い土を盛ったお墓(国内国外問わず)
墳丘墓・・・土をもったお墓(国内外問わず)
言葉としては結局同じ語彙(古墳は古い意味が追加)であるのに、「古墳時代」というセグメントを表現する言葉として有効性を保とうとすると無理があるという感じでしょうか。同じ語彙なのに、弥生時代は墳丘墓、古墳時代は古墳、その違いは箸墓古墳基準か、纒向型前方後円墳(墳丘墓)なだけ。
この考古学会の曖昧さに対して、教科書では墳の形象を表現して、結果的にたくさんできた時代を"古墳時代"と呼ぶ、と端的に整理がされています。この点、考古学的な見解を全く反映させていない訳ですが、よく考えられた結果だなという気がしました。
整理ができていない言葉の定義としては、墳形を表現する言葉。
例えば、円墳とか方墳とかいう表現は、推古天皇や蘇我馬子といった飛鳥時代セグメントでも使われます。墳名を表現する言葉は、時代とは関係ないとした場合に、では前方後円墳だけは別枠?とかいろいろと現在の定義では歴史を表現することが難しいケースが多々出てきます。
こんないろんなことを考えながら、教科書を見た際に、この表現は絶妙だなと思った次第です。半面考古学会はOUTPUTの成果が問われるなと思いました。
これは完全に私見ですが、今なら「前方後円墳時代」このように時代区分定義するのがもっとも整合性がとれるのではないかと考えています。この場合は大和王権中心に、前方後円墳のスタート(箸墓古墳)とエンド(見瀬丸山古墳)で区分することが可能となります。
●残念な埴輪のカット
同じ頁に埴輪のカットが。特に左の円筒埴輪は説明にあるように242cmととんでもない巨大なモノです。メスリ山古墳からの出土品で、自分が最初に橿原考古学研究所博物館で見たいに衝撃を覚えたものなんです。この埴輪の巨大さが伝わらないレイアウトなところがちょっと残念ですかね。こんなところは息子がウザがらない程度に、実際の大きさとか価値を伝えてあげられればと思います(笑)。