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趣味の備忘です。最近は古墳巡りとマラソンが中心

藤の花と万葉集

自粛期間だからこそゆっくりできる閑話を。
近所の公園にある藤棚の花が、満開かちょっと落ち気味?な状態でした。

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藤の花が気になったのは何気に観ていたEテレ趣味の園芸

明日香村とも中継ということで、園芸は趣味ではないけど観てみました。
今回が藤の花でした。
番組冒頭から藤の花をテーマとした万葉集が紹介されます。

藤波の花は
盛りになりにけり
奈良の都を思ほすや君
           大伴四綱

この歌は、令和で一躍有名になった大宰府長官大伴旅人に対して同じく大宰府に赴任していた大伴四綱が詠んだ歌と言われています。
意味は、藤の花が満開な状態を見て、お互いに大宰府という離れた土地から、奈良の都を思い出しませんかと旅人へ投げかけた、こんな感じでしょうか。

脱線すると大伴氏は、元々おおきな伴造(とものみやつこ)という意味で、大和王権の軍事的な役割を担っていました。物部氏との違いはより天皇家に近く、そのため大宰府には信頼おける大伴氏が赴任されていたんでしょうか。大宰府と大伴氏との関係は深いです。

四綱に詠われた大伴旅人は、2度大宰府に赴任しています。
1度目は隼人反乱を鎮圧するための目的でしたが赴任間もなく朝廷では藤原不比等が亡くなりそれをトリガーとして都に戻されています。
ここからは長屋王が隆盛な時代へと入り、長屋王と関係が近しかった旅人も重要な役割を担うようになります。

ところが藤原四兄弟の力が大きくなり、長屋王の力を弱めるために旅人は再び大宰府へ左遷されてしまうんですね。この2回目の赴任時期が、大伴四綱の赴任時期と重なっているため、おそらく万葉集の四綱の歌は左遷にあった旅人を想う気持ちが込められていたんでしょう。想像を膨らませると、もしかしたら長屋王家に危険が近づいていることを近衛兵的役割であった大伴氏族として憂いていたのかもしれませんね。

旅人の左遷が728年、その翌年には長屋王の変による長屋王家は滅亡します。この辺りは、里中さんの『長屋王残照記』で時系列が分かりますので、自粛の間の歴史の復習にもおすすめです。

Eテレのおかげで、藤の花を目にした時に大伴氏を連想できるようになり歴史の愉しみ方に幅が出ました。四綱の歌までは頭に入れられませんけど(苦笑)。来月も愉しみな番組です。

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