会社でなんとなく雑談していて津田沼で一緒に仕事していた同僚との話になったので妙に津田沼の記憶が。
津田沼に住んでいたのは今から20年以上前からで5年ちょっと位です。
石川県の田舎から出て行って戸惑ったのは、方向感覚。石川県能登半島と千葉県房総半島は形が似ているのに、東西南北が正反対になるのでどっちに向かうのが半島の先に向かうのかという妙な感覚の違いがありました。普通に電車に乗る時に海がどっちだなんて関係ないことながら、感覚的にズレがしばらく続きました。
津田沼に住み始めた時は、ダイエー、ヨーカドー、マルイ、パルコ、ユザワヤと駅がビルで囲まれていることに驚いたものです。津田沼から都内まで約30分の通勤時間。
コロナ禍の今はその価値はなんだという感覚になりますが、当時は津田沼だけ左側のドアが開き、以降の快速の停車駅は右側が開くので、いかに津田沼で乗車時に電車内で良いポジションを確保するかが朝の最初の闘いでした(笑)。
津田沼駅のダイエー横はまだ開拓途上で風が吹くと赤土が舞うんですね。
「ああこの赤土でピーナッツを育てるのか」と思ったものですが、今では赤土の面影は全くありません。
当時の所長とマンション近くの焼き鳥屋「一鳥」でどんな営業所にするんだという話で飲んでいたのが20年前。その時の上司である所長はもうこの世にはいません。クレームを出して落ち込みながらウロウロしているときも、田舎出の共同生活のような状態だったので、津田沼の街で出あうんですね。そうするとそのまま居酒屋言って、クレームを肴に反省をするのかしないのかの時間を使うのです、土日に。
こんな時代を幾人かと過ごしていた体験が残っていて、今でも時々はこの時代の話になります。
ちなみに津田沼へはその後、市川へ引っ越ししても、ブランクへて浦安で住んでも、何かと通り過ぎはしてました。今はなかなか行くことはないですが、房総方面へ古墳巡りに行く際の通過駅として止まった際には、いつもこんなことを思い出します。