明日香村の一般観光では石舞台古墳の上をさらに登るということはあまりないのではないでしょうか。
しかしさらに先に素晴らしい古墳があるのです。それが都塚古墳です。
この古墳は明日香村で唯一石室の中に石棺が納められた形を見学できます。
しかし石舞台古墳周辺は人がたくさんいるというのに、都塚古墳には自分が40分ほどチェックしている間に、わずか1人(20代後半の女性のマニア?の方)だけ。
あと少し足を延ばせばこんなに素晴らしい古墳があるというのにもったいないことです。
今回の自分の目的は、墓碑銘調査。
池田氏によれば、都塚古墳にも明瞭な墓碑銘が存在するというのです。
ちなみに都塚古墳の被葬者は特定されておらず、おそらく蘇我系の渡来人の一族ではないかという説があります。
墓碑銘確認の期待しながらもまずは、じっくり古墳を堪能しました。
外観はこじんまりとしています。石舞台古墳ほどの迫力はありません。
羨道はいつ頃崩れたのかはわかりませんが、むき出しとなっています。
石棺は苔むした状態で鎮座していました。日差しの向きと羨道部分も露出しているので、石室の中まで日光が入りこれでは雑草や苔が生えるのも仕方ないかなという感じでした。
石室も見どころがあります。石舞台古墳と違うところは、持ち送りと言って石室に積まれた石が徐々にドーム状を描いていて、この形だと、それほど大きな石を積む必要がなくなるそうです。コンパクトといっても巨石ですが、効率的に築造できたと考えられます。
そして、いよいよ墓碑銘の確認です。池田氏の著書によれば石棺に墓碑銘はあるということでした。
下のPHOTOは、池田氏著書『画像解析によって判明した古墳墓碑上』より転載させていただきました。
「蘇我造姫命棺(そがのみやつこひめのみこと棺)」と文字があるということで期待大!!
該当する場所を目を凝らして、見比べます。
う~ん、肉眼ではまず確認できないことを確認しました。
その後は画像解析ということになりますが、問題は池田氏の92年のPHOTOと比較して、21年の歳月は石棺にかなり苔を生やしてしまっている点です。この苔の状態だと、池田氏の仕事のトレースをするのは困難なようです。もっと早く墓碑銘というキーワードをもって都塚古墳に辿りつくべきだったと古墳を前にして一人後悔したのでした。
しかしあきらめることはなく、解析トライ用の画像はたくさん撮ってきました!
ともかく、これだけの古墳が石舞台古墳からほんのちょっと離れた場所にひっそりと存在しています。明日香を訪れるのであれば墓碑銘関係なく一度はぜひ見ておいていただきたい古墳です。