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サブ3.5ランナーのマラソン記録、古墳巡りの備忘が中心で、ドローンがたまに登場します

牽牛子塚古墳:明日香村(2013.11.04)

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改めて整理をしてみました。2010年の調査報告によりこの古墳は、八角形墳であることが明らかとなり、斉明天皇陵に比定されることが決定的となった明日香でもっとも旬と言える古墳が牽牛子塚古墳です。一般の明日香観光では、石舞台古墳の巨大さや、点在する石造物の特異さに感激しますが、牽牛子塚古墳を知ると想定を超えた驚きがあります。

●推定1,000t!を超える凝灰岩を加工した巨大な石槨
石室と石槨(せっかく)の違いは曖昧で、棺を収めるスペースに余裕がある場合には部屋に棺を収めるという認識で"石室"、スペースが少なく空間自体も"棺"と解釈できるとする場合には"石槨"とされています。牽牛子塚古墳は横口式石槨と呼ばれる埋葬施設です。そしてその特徴は、何と1つの岩を刳りぬいて石槨が造られているのです。
ちなみに巨石で有名な石舞台古墳で最も大きな天井石でも推定77tということなので、どれほどの巨岩から造られているかが伺えます。

●予め想定した合葬施設
合葬の例は、牽牛子塚古墳だけではなく、有名な天武・持統天皇陵などが有名ですが、埋葬施設を合葬を予め想定して造られている訳ではありません。牽牛子塚古墳では、2室を巨岩から刳り抜いて設けています。

●2010年の調査で隣接地に大田皇女と考えられる古墳(越塚御門古墳)が発見
この古墳は、牽牛子塚古墳が八角墳であることが確定した発掘調査現場を埋め戻す際に偶然発見された古墳です。この古墳の発見がなくとも、斉明天皇陵である確率が非常に高くなっていたのですがダメ押しとなる発見でした。というもの、日本書記には斉明天皇の墓の傍に孫の大田皇女の古墳があるとあり、その記述通りの発見がされたからです。
大田皇女は、天智天皇の娘であり、持統天皇の同母姉であり持統天皇とともに天武天皇の妃となっています。
ちなみに今回の訪問では、すでに埋め戻されていて跡形もなくなっていました。

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●牽牛子塚古墳の被葬者は斉明天皇
発掘調査の事実より、斉明天皇陵であることがほぼ確実となりました。現在は異論を唱えていた学者も斉明天皇で結論づいたという認識のようであり、宮内庁だけが認識を変えていません。
宮内庁斉明天皇陵として車木ケンノウ古墳奈良県高市郡高取町)を比定しており、改めるには墓誌のような有力情報が必要という見解とのこと。そのためこうやって間近で古墳チェックができたり、発掘調査情報に接することができたりする訳ですが。。。

●2013年の本題墓碑銘調査では?
そこで期待をもっていたのが、牽牛子塚古墳の墓碑銘でした。池田氏によれば、草壁皇子の文字がはっきりと見られるとしています。ちなみに草壁皇子を簡単に紹介すると、持統天皇の息子であり大田皇女の甥。持統天皇の次に皇位継承する予定だったと思われますが、早くに亡くなってしまった皇子です。斉明天皇の時代よりかなり後ということになります。墓碑銘は本来は入口を塞いでいたであろう石の上部にあるということです。
該当する石はすぐに見つかりました。この倒れている石の上部に文字があるとのこと!

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池田氏のよる画像解析はこちら↓『画像解析によって判明した古墳墓誌上』p72[青林堂]

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残念ながら氏はすでにおられず、どう解釈すればよいかはわからりません。文字があると思われる部分に対して画像処理を試みましたが、今の自分の技術では何も掴むことができませんでした。

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■牽牛子塚古墳
■場所 奈良県高市郡明日香村大字越
■形状 八角形墳
■規模 22m
■築造時期 7世紀後半