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土師ニサンザイ古墳で木橋発見

ものすごい考古学ニュースがありました。
堺市の大型前方後円墳、土師ニサンザイ古墳(略称ニサンザイ古墳)の周濠から柱穴が発見され、その位置関係から、幅約12m長さ45m以上の木橋が架かっていたということです。木橋の位置は後円部に架かり、主軸の延長線上にあり、古墳造成の最終段階か完成後に造られたということも柱穴の地層の状況から推測されるということです。

ニサンザイ古墳は大仙陵古墳(伝仁徳天皇陵)のある百舌鳥古墳群の代表的な古墳で、全長300m以上、築造は5世紀後半と言われています。
この古墳は陵墓参考地でありながら、2012年に発掘調査の現地説明会が行われるなど、非常に開かれた古墳と言えます。
その古墳から、とんでもないニュースが飛び込んできました。
ちなみにこの木橋の用途に関しては先生方の意見はバラバラです。

〇白石太一郎先生
・古墳完成後に大王の遺体を運んだ
・副葬品も運び橋の上には見守る人たちがいたのではないか
前方後円墳は四角い前方部が「前」とされるがニサンザイ古墳では後円部が「前」だった可能性がある

〇広瀬和雄先生
・被葬者を運ぶだけでなく、全国から多数の豪族が集まり、葬列をなしたのではないか

〇和田晴吾先生
・被葬者を運んだとする説を否定
・石棺などの資材を運ぶための橋
・ただし資材を運ぶことも華やかな祭礼の一種として行われた

〇一瀬和夫先生
・墳丘のかなり高いところに行くためのスロープの土台部分だった
・被葬者がいる古墳が完成した後、別の被葬者の埋葬施設をつくったのではないか

〇高橋克壽先生
・最後の段階でつくられた橋ではないか
・被葬者を運んだ可能性が高い
・橋の堅固さと幅から重いもの石棺のふたなども大勢の人が運んだのではないか
・また武器や武具などの副葬品も運び、(被葬者の)後継者や家族、巫女(みこ)も通ったのだろう

う~ん、これだけの発見に対してできれば亡くなられた森浩一先生の意見が聞きたかったです。
ともかくwildblue説を!

〇wildblue説
まずこれだけの規模の古墳は陵墓参考地になっており周濠の発掘調査ができていないので今回のような発見の機会がほとんどないのが現状でしょう。
白石先生の意見にある後円部が前だったという説ですが、巨大古墳の前方部の発達過程を考えても、葬儀の中心は前方部だろうと考えます。
ただし造成段階では巨大古墳の石室や葺石を運搬する際には、合理的に効率的な運搬を選択していたのではないでしょうか?
ニサンザイ古墳級の巨大さであるとこういう考え方もあるのかなと思います。
この推測は今回の発見と同じく主軸で前方部の周濠の調査ができればはっきりするのではないかと考えています。
頭の中を整理する図を描いてみました。

ともかく古墳研究が大きく進む発見であることは確かですね。