Slow Life Slow Fish

サブ3.5ランナーのマラソン記録、古墳を楽しもCHANNEL!で伝えきれないこと

行燈山古墳(崇神天皇陵)立ち入り調査

陵墓への立ち入り調査は2008年から始まって年に1度、2月に行われています。
20日過ぎ東京マラソン開催の頃なので自分にとっては話題が多い時期になります。
今年も2月24日に行われ、行燈山古墳(崇神天皇陵)が対象でした。

ちなみに最近の調査は、
2016年 渋谷向山古墳(景行天皇陵)
2015年 御廟野古墳(天智天皇陵)
2014年 野口王墓古墳(天武・持統天皇陵)
2013年 箸墓古墳
となっています。こうやって並ぶだけても大変魅力的なラインナップです。
ちなみに自分は御廟野古墳にはまだ行ったことがありません。

報告によれば、崇神天皇陵は3段築成、一部の研究者からは後円部は4段では?という
意見が出たとのこと。
より古い箸墓古墳においても前方部と後円部で段の数が異なるケースが見られるので
可能性としてはあるかもしれませんね。

ちなみに行燈山古墳に眠るとされる崇神天皇について。
この天皇は第10代ながら初代神武以降の所謂欠史8代の実在性が乏しい事から実質初めての大王ではないかと言われています。
この辺りは、マニアの方々は既知なので割愛として崇神はかなり苦労した大王でした。
まず疫病が流行り対処に苦労しました。
この頃は疫病の対処といっても薬やワクチンじゃなく、祟りを恐れます。
崇神は、天照大神倭大国魂神が祟っていると考えどこで鎮めればと模索し、現在の伊勢神宮大和神社にそれぞれ落ち着きます。
しかしその後、大物主神からも要求を突きつけられそれに対処し、何とか鎮めます。
崇神は、天照大神倭大国魂神大物主神、というヤマト王権初期に登場する神々に深く関わっています。
苦労をした崇神は、書記の結論としては称えられ締めくくられています。

本格的な発掘調査はできずとも、葺石や埴輪など立ち入り調査で見られる情報からだけでもこのような神話を実年代に照合する作業ができる面はあるので、
継続してもらって魅力的な話題を提供し続けてもらいたいものです。