陪塚は時間制約もあり、歩いた途中のものだけをチェックしてきました。
●永山古墳(前方後円墳/全長100m/時期:5世紀)
№8の古墳です。
陪塚で100mというのだからスケールが違うなと思いましたが、陪塚ではないという意見もあるようです。
位置としては陪塚としておかしくない場所にありますが、築造の時期が判明しないとわからない点でしょうか。
●竜佐山古墳(前方後円墳/全長61m/時期:5世紀後半から末頃)
№14の古墳です。
大仙公園に孫太夫山古墳と対になる感じで造られています。
古墳の前方部正面にあるので孫太夫山古墳と並び前方部の正面にあるので陪塚の中でも格上なんでしょうか。
●孫太夫山古墳(前方後円墳/全長56m/時期:5世紀中頃)
№17の古墳です。
竜佐山古墳と同じく前方後円墳なんですが、前方部が短い帆立貝形をしています。
序列として前方後円墳の中にも前方部の短い形が一段格が下がるという位置づけなのでしょうか。
●銅亀山古墳(方墳/一辺26m/時期:不明)
№42の古墳です。
方墳で一辺26mというと大きな規模だと思うのですが、大仙陵古墳と比較されるので特に誰も立ち寄らず閑散としてました。
そんな想いもありチェックしてみましたが特に何もわからず。
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順番としては前後しますが、堺市博物館も行ってきました。
古墳コーナー中心で見てきたのですが、ここでの学芸員さんの古墳の話がかなり専門的!
小学生含めた家族の見学者に対して、前方後円墳の成り立ちを今のトレンドを正確に解説されていました。
古墳の前で聞いたあやしげな解説とのギャップがすごくてより耳に入ってしまいました。
これでなかなかまとめれなかった百舌鳥古墳群の備忘もひとまず終わりです。