太田天神山古墳の空撮を終えた後、女体山古墳へと向かいました。位置関係はパンフレットの掲載の地図からもものすごく近いことはわかります。今から思えば太田天神山の周堀付近から狙えば女体山古墳の撮影も十分可能だったかも。
実際は巨大古墳撮影で集中していて女体山古墳の撮影はできなかったし、移動してしまったのでドローンの発着が出来る場所がなくて、探索だけとしました。
2つの古墳は女体山古墳の方が少し古いということです。説明板には以下のようにありました。
隣接する男体山(天神山古墳の別名)に対して女体山と呼ばれる円丘部に方形の造り出し部を付けた形で帆立貝形古墳という形式である。
墳丘の全長106m、円丘部直径84m、高さ7m、造り出し部は幅18m、長さ16mである。帆立貝形古墳としては奈良県北葛城郡河合町の乙女山古墳(墳丘全長128.6m)に次いで全国第2位の規模を有する。周囲に幅11~19mの周堀を持つ。墳丘表面には川原石が葺かれ、円筒埴輪が巡らされている。
主体部(埋葬施設)は竪穴式のものと推定される。未発掘と伝えられるが、墳頂付近に削平の跡があり盗掘を受けているものと考えられる。
築造時期は5世紀中頃で、天神山古墳よりやや先行する時期と考えられている。
周堀があった場所。周囲の土地区画からも面影が残っています。
墳丘が低いのでなだらかで墳上へ登るというような感覚ではないです。
古墳を巡っての感想としては、そもそも帆立貝式(形)古墳なんだろうか?というもの。帆立貝式古墳の定義は実は確固たるものはなくて、大きな区分では円墳に造り出しがついた造出付円墳と前方後円墳の前方部が短い古墳を称している場合と後者だけを指す場合があったりと、ややこしいです。女体山古墳の場合は、造出付円墳で広義では帆立貝式古墳に含まれているのかなと。実際パンフレットにも前方部ではなく造り出し部と表現されていますし。
あとは案内板が令和2年に更新されて新しいものですが、帆立貝形古墳として全国2位という表現。一番大きな古墳は西都原古墳群の男沙穂塚古墳なはずですが、なぜカウントしてないんだろう?という疑問が残りました。
また機会があったら2つの古墳を1枚の納めた空撮ができればと思います。