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サブ3.5ランナーのマラソン記録、古墳を楽しもCHANNEL!で伝えきれないこと

【奈良旅2022#07】赤坂天王山古墳へ潜入

今回は旅の備忘が続けられそうなのでタイトルシンプルに変更しました。
過去は大概途中で力尽きてたんですが。。。

次に書いておきたいのは赤坂天王山古墳。
この古墳訪問は、実に9年振りとなりました。どうやら2013年の11月と2014年の3月に来ていたようです(ブログ記録)。当時は千葉に住んでいたので夜車で移動し朝古墳前に駐車している写真が残っていました。

赤坂天王山古墳は、崇峻天皇の真陵と言われている方墳です。簡単に崇峻天皇の位置づけを系図で。

蘇我氏の血が色濃いというか、蘇我稲目の孫になり、伯父さんの蘇我馬子の娘(つまり従妹)と結婚するというもう蘇我一族そのものですね。聖徳太子から見ると義理の伯父さんということになる、それが崇峻天皇です。

ちなみにこの系図内では確定ではありませんが、敏達天皇までが前方後円墳で、次の用明天皇推古天皇と方墳へ墳形が変わっていくと考えられています。これは蘇我氏の墳形が方墳でこの遷移がまさにこの系図の中にあると言えます。

(ここまで読まれている方はかなりご年配と推測しますが)歴史の教科書を思い出すと古墳時代飛鳥時代の区切が曖昧だった印象はないでしょうか。教科書では仏教伝来等文化の視点で曖昧さを残した記述になっていますが、時代区分の基準が政治であることを踏まえると、前方後円墳時代が終焉した、敏達天皇推古天皇の間に古墳時代飛鳥時代の境界があると言っても良いと思います。

話が少し脱線しましたが、その流れの中にあるのが崇峻天皇であり、最終的には伯父である蘇我馬子に暗殺されてしまいました。そんな崇峻天皇ですが、古墳に規模は堂々としたもので、四方約50mと、暗殺首謀者である蘇我馬子の古墳と言われる石舞台古墳とほぼ同じ大きさです。

この測量規模は2018年の報告書で更新されているので、古墳前にある説明板よりははるかに大きかったということになります。

潜入そのものは動画にしましたのでご興味あれば御覧ください。

まだまだ奈良旅記録はつづきます。