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サブ3.5ランナーのマラソン記録、古墳を楽しもCHANNEL!で伝えきれないこと

想定を超える古墳の発見(都塚古墳)

都塚古墳は昨年チェックしてきました。

石室内に安置されている石棺の墓碑銘をチェックするのが目的で、それ以外はそんなに注目する古墳ではありませんでした。それが、いきなり蘇我稲目のピラミッドというタイトルでニュースが流れてきた時には本当にびっくりしました。
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一般的にも方墳という形状は、巨大な前方後円墳に比べて話題になることが少なくマイナーな印象があるかと思いますが、実はある時期一瞬だけメジャーになりました。それが蘇我氏の時代です。
蘇我氏が隆盛を誇った一時期の天皇陵(用明-崇峻ー推古)の一時期は天皇陵が方墳になります。
この中でもっとも巨大なのが、女性天皇の推古陵で一辺60mの巨大方墳です。ただしこの古墳は3段築造と言われており、今回発見の都塚古墳とは同じ方墳でも形状が全く違うことになります。ということはこれは本当に大発見なのか?蘇我稲目の墓なのか?
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自分自身専門家ではないので、限りある中での私説。
■被葬者は蘇我稲目
都塚古墳の周辺特にそこから川に沿って山に上がっていくと、渡来系の古墳が大量に存在します。古墳形状から高句麗との関係が示唆されていますが、関係が深かった蘇我系の古墳であることは間違いないように思います。ただし稲目というのは、"方墳"時代の前段階の人物で古墳形状は前方後円墳であるべきではないか?
稲目の娘婿の欽明天皇陵は、巨大な前方後円墳と考えられており時代として若干古い人物なのではないか?ただし息子の馬子の墓は石舞台古墳と言われておりこちらは巨大な方墳だったとされています。可能性として陵墓形状として採用に至る前段階に渡来系氏族として先に採用していたということなら整理がつきますが・・・。

■ピラミッド形状のレア度
こうやって発見されてみると改めてこれまでの考え方に穴があったのではないかと気づかされます。
1.石舞台古墳もピラミッド古墳だったのではないか?

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石舞台古墳は石室だけが残っているため、方墳ということ、規模は判明することができても、築段についてはわかりません。この古墳ももしかしたらピラミッド古墳だったのではないだろうか?
こんな想定はこれまでできなかったことなので、都塚古墳の発見は仮説の幅を大きく拡げてくれます。
2.そもそも方墳の築段ははっきりしているのだろうか?
この点も改めて思いをめぐらすことになります。一例として推古天皇陵。巨大な古墳であることは明らかで、築造は3段と言われています。これは本当にそうなのか?という点にも疑問が出てきます。
推古天皇陵に関しては幕末期に大幅な改修工事が行われています。
当時の資料を探して使われていただきます。
文久山稜図』(慶応3年)より
推古天皇陵改修前]ただの山にしかみえません

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推古天皇陵改修後]どうやったらここまで変わるのかとう変貌ぶり

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これだけの改修していて、さらに陵墓ということで発掘調査ができないとなると、方墳時代の本当の方墳の形状は、実は何もわかっていないのではないだろうか?それが蘇我系の陵墓外古墳の発掘により本当の方墳の形状が垣間見られたということではないだろうか?

改めて考古学の魅力に触れました。明日16日現地説明会があるそうですが参加できないことが残念でなりません(残)。