奈良
昨年秋に明日香を訪問した際に改めて気付いたランナーの多さに次回は旅Runと思っていましたが、今回実現!!前日夜に軽くジョグしていますが、旅Runは明るいと気分が乗りますね!コースは日頃浦安では経験できない起伏のあるコース選択がしたく、談山神社ま…
纒向遺跡にある古墳です。古墳の発生時期にあり弥生時代の墳丘墓だという考え方もあります。考え方としては、箸墓古墳を古墳時代の始まりとするか、その直前に定型化したとして纒向の石塚古墳始め、周囲の勝山古墳、矢塚古墳、東田大塚古墳、そしてホケノ山…
中尾山古墳は国立飛鳥歴史公園内にあり、観光客のチェックポイントとしはメジャーです。しかし知れば知るほど、その扱いのアンバランスさには驚きます。明日香村のサイトから引用しますと、江戸時代には文武天皇陵として認識されていたようですね。ところが…
明日香村の一般観光では石舞台古墳の上をさらに登るということはあまりないのではないでしょうか。しかしさらに先に素晴らしい古墳があるのです。それが都塚古墳です。この古墳は明日香村で唯一石室の中に石棺が納められた形を見学できます。しかし石舞台古…
タイトルややこしいですが、これは文武陵の比定の経緯に由来します。文武天皇は天智天皇・持統天皇の孫にあたり、奈良時代の『続日本紀』には「檜隈安古陵」に、平安時代の『延喜諸陵式』には「檜前安占岡上陵」に葬られたとあります。つまり「檜隈案・・・…
改めて整理をしてみました。2010年の調査報告によりこの古墳は、八角形墳であることが明らかとなり、斉明天皇陵に比定されることが決定的となった明日香でもっとも旬と言える古墳が牽牛子塚古墳です。一般の明日香観光では、石舞台古墳の巨大さや、点在する…
この古墳は現在、ほぼ確定として天武・持統天皇陵に比定されていますが、かつては、見瀬丸山古墳とどちらがそれかという点で行き来をした経緯があります。見瀬丸山古墳も合葬されているので、確かに類似する点はあります。場所も同じ明日香村と言いながらも…
赤坂天王山古墳をチェックした後、近くの舒明天皇陵に向かいました。 舒明天皇は、歴史の教科書的には登場場面は少ない天皇です。推古天皇の後を継いたのが舒明天皇ですが、時代は蘇我氏の権力が、蝦夷、入鹿と増大していく過程にあり実権は蝦夷が握っていた…
何度この古墳を見に来たことでしょう。。。おそらくそんなマニアの方はたくさんいるんでしょうね。自分も箸墓古墳に魅せられた一人です。 箸墓古墳は纒向遺跡の箸中古墳群に属する大型古墳です。箸中古墳群の他の古墳からとび抜けた大型の前方後円墳であり、…
2013年秋の遠征の目玉の1つが石舞台古墳でした。古墳自体は明日香村のメジャー観光施設として大変有名ですが、今回の自分の目的は「墓碑銘」。これだけメジャーな古墳にさえもこれまで大きな話題とならない墓碑銘が存在するなんて!っと想像しただけでもワ…
この古墳は暗殺された祟峻天皇の陵墓である可能性が高いながら、宮内庁は別の古墳を祟峻陵と比定しているため、自由に見学ができてしまうという大変貴重な古墳です。ただし石室入り口は結構せまいということで、雨上がりの中の泥まみれを覚悟で訪問してきま…
箸墓古墳の脇道を登って行ったところにホケノ山古墳はあります。箸墓古墳を周回することはあっても、ホケノ山は見たことがなく、今回初めてチェックしてきました。 きっかけは、内田康夫さんの『箸墓幻想』を最近読んで、それが影響されたというだけなんです…
更新がやっぱり滞り(汗)、奈良遠征から1カ月半。いつも無計画なので、行ったあとに「ああついでに行っておけばよかった」と思うことはよくありますが、無計画は無計画なりに、現地で見つけたスポットがあったりとなかなか面白いものです。 今回の奈良遠征…
奈良遠征2012。昨年、南淵請安先生の墓と墓の入口を示す道標を間違えてお参りするという失態から早1年。今年の奈良路の旅はまず、昨年を取り戻すところから始まりました。しかしそこまでの旅路がまた強行なスケジュール!9月14日(金)夜の会議を終え、…
談山神社(たんざんじんじゃ)は、長男の僧定恵が中臣鎌足の墓を別のところから移し、十三重塔を造立したのが始まりです。談山神社は元々は寺院でした。それが明治の神仏分離で神社となったので、鳥居があり、でも十三重塔はありと、複雑です。また多武峰と…
かなり唐突ですが、天理市立黒塚古墳展示館入口にある三角縁神獣鏡のレプリカ。三角縁だけを切り取ったデザイン、その配置のバランスが気に入ってしまってパチリ。この展示館は無料で、黒塚古墳出土品のレプリカを堪能してきました。 黒塚古墳の現地説明会か…